人類は有史以前から火とともに生きてきた。
神からの贈り物である火を発見したからこそ、天敵である捕食動物の脅威から守られ、食が豊かになり、知能が飛躍的に進化を遂げた。
もしもそうでなければ、毛皮も牙も爪も持たないホモサピエンスという生き物は、自然界の食物連鎖のピラミッドの最底辺に位置していただろう。
人類の歴史は火との共存である。平和と安寧をもたらす火もあれば、そうでない火もまたある。
(文=樋口明雄 写真=写風人)
焚火の価値
私の人生もまた、常に火が傍にあった。
子供の頃から五右衛門風呂の焚き付けをたたき込まれ、山に入れば焚火の前で飲み、眠っていた。
火は生活の一部であり、癒やしであり、友であった。
だから当然のように、フィールドのみならず庭先でも焚火をするし、薪ストーブは田舎暮らしの必需品となった。
コロナ禍の時代。人々の意識が都会の一極集中から、次第に外に向くようになり、地方移住や都会と地方を行き来するデュアルライフを選ぶ人たちが増えてきた。
アウトドアという遊びのスタイルも脚光を浴び、とりわけ某タレントの影響で、さかんにキャンパーたちが焚火をするようになった。
それまでスマホの画面ばかり見ていた若者たちが、電波の届かない場所で、闇を照らしながら燃える火を見るようになったのは、やはり大きな変化ではなかろうか。
スイッチひとつで火が点く。そんな当たり前のことが、フィールドでは皆無となる。すわなち自分の力で、無から火をおこさねばならない。それを知るだけでも大きな価値があったと思う。
ナチュラルなマインドフルネス
おおぜいで火を囲むのもいいかもしれないが、私は孤独に火を見つめることが好きだ。
よけいな言葉も音楽もいらない。静かな世界の中に、パチパチと火が燃える音だけが続く。そんな時間をゆったりと過ごす。
”アナポタ・モト”——スワヒリ語で「火を夢見る」という意味。
故・田渕義雄さんが愛した言葉だった。彼はまた、「火は森のテレヴィジョンだ」ともいった。
焚火の炎の揺らぎは単調に見えて、実はふたつとして同じ場面がない。だから、いつまでも飽きることがない。
人はまるで鏡に映すように、火の中におのが人生を思う。そこには未来もあれば過去もある。夢もあれば後悔もある。そうしているうちに、いつしか人は無念無想となる。
揺らぐ炎を見る行為は、まさにナチュラルなマインドフルネス。日常の疲れから解放され、悩みや苦しみを忘れ、心が研ぎ澄まされ、透き通ってゆく。
しかし、ときに火は人の敵にもなる。
焚火で飛んできた火の粉で化繊のウエアに穴が開くぐらいならまだしも、着衣着火による死者数は毎年、百人前後になるというし、もしも火災にでもなったらあらゆる家財を失ってしまう。私自身も大学時代、よそからのもらい火でアパートの部屋が丸焼けになるという悲惨な体験をしているので、火の恐ろしさはよくわかっているつもりだ。
直接手を触れたら火傷をする火。だから適度に離れた場所に手をかざす。近づきすぎても、遠ざかりすぎても良くはない。
こうしてわれわれは火との距離感覚を学ぶ。人と人との距離もまた同じ。
母屋と離れ家、二台の薪ストーブ
我が家には二台の薪ストーブがある。
八ヶ岳と南アルプスに挟まれた場所に土地を買って、そこにログハウスを建築したとき、迷わず導入した。理由は単純、田舎暮らしの定番アイテムだったからだ。
数年後、子供らが生まれたり、老母が故郷から頼ってきたりで手狭となり、隣に仕事場として離れ家を建てた。
暖房はやはり薪ストーブにした。おかげで苦労が二倍になったが、後悔はしていない。
薪ストーブとともに暮らすには、それなりの努力が必要だ。毎度毎度、焚き付けを入れ、マッチやライターで火をおこさねばならないし、起こした火を持続させなければ勝手に鎮火してしまう。
この安らぎと暖かさという恩恵に浴するためには、燃料である薪を集め、しっかりと乾燥させなければならない。毎年、その冬の薪を購入できる身分ならばともかく、通常は自分の手でそれを調達することになる。
冬場の日当たりがいいとはいえぬ我が家では、ひと冬に四、五トンの薪を消費する。
それが二軒ぶんともなれば、八から十トンとなってしまう。想像するだけで、すさまじい量だとわかるだろう。
薪集めにテンプレートなし
コツコツと働いて貯金を貯めるように、少しずつ薪を集めてゆく。
絶えず情報に目を向け、耳を傾け、どこか近所でチェンソーの音がしたら飛んでいって、伐木を譲っていただけないかと交渉する。「持って行っていいよ」なんていわれたら、酒や菓子折を持参して、ありがたく頂戴してくる。
〈アリとキリギリス〉の寓話のように毎日サボっていたら、あっという間に冬が来て、さてどうしようと焦る羽目になる。いくらがんばって木を伐ってきたって、それを乾燥させなきゃ薪にならないから、焦っても後の祭り。
こうした地道な努力が実を結ぶのが薪ストーブなのだから、ずぼらな人間には絶対におそらく向かない。
二十何年、この我が家で薪を焚き続けてきたが、実のところ、これまで一度たりとて満足に薪集めができた年がない。
毎年のように「梅雨が来るまでに薪棚をいっぱいにするから」といいつつ、けっきょく真夏が過ぎる頃になっても終わっていない。学習能力がないといわれればそれまでだが、薪集めという作業にはテンプレートが存在しないため、年ごとに状況がまったく違ってしまうからだ。
知り合いの土地で伐採があったり、公共事業で出てきた原木の無料配布があったり、いろんな機会を捉えて薪の調達に励むが、いつも決まっていただけるわけじゃなし、いつも声をかけてもらえるということもない。その年、そのときによって、まちまちなのだから。
そんな苦労にもかかわらず、薪ストーブにそっぽを向いたりしないのはなぜか。それは労力に見合うだけの暖かさと安心感が得られるからだ。
こんな暖房器具は他にない。おそらく二度と、石油ファンヒーターなどの化石燃料の暖房には戻れないだろう。
スローライフはどこにある
田舎暮らしにスローライフなんて存在しないと、拙著〈田舎暮らし毒本〉に書いた。とにかく毎日が忙しいのである。
まず本業がある。朝から晩までパソコンに向かって原稿の執筆。
その合間に庭草の刈り払いをしたり、傷んだ家のメンテナンスをしたり、畑の柵を補修したり……。
今は、子供たちが親の手を離れてくれたからいいとして、当然、薪作りは一年を通して重要な日課で、時間を見つけてはいそしんでいる。
軽トラに乗って、あっちの山、こっちの地所とせっせと通い、いただいた原木を荷台に積み上げ、ロープで頑丈に縛り付けて帰途につく。
積み荷を家の前に降ろすと、チェンソーのエンジンをかけ、長さ四十センチの玉切りを作り、それを斧や薪割り機で割って、薪にしていく。さらに薪棚に運び、一本ずつ積み重ねて並べてゆく。
日が暮れて、辺りが夕闇に包まれる頃、ようやく作業が終わる。
薪小屋の屋根の波板まで積み上がった薪を見上げる。腰に手をやって、額の汗を拭い、田舎暮らしの充実感を噛みしめる。
いや待てよ。これって、本当に充実感なのだろうか?
思えば薪作りが楽しかったなんて、移住して二年ぐらいだったなあ。
あとはひたすら苦労と苦痛をともなう義務。ここに暮らすかぎり、逃げることのできないノルマである。
それでも心のどこかでは、ストーブの季節の到来を心待ちにしている。
屋根に登って煙突にブラシを通し、重さ二百キロのストーブをきれいに掃除し、耐熱ガラスをせっせと磨き、たまっていた灰を片付け、しっかり乾いた薪を居間に持ち込んでストーブ脇のストッカーに積んでおく。
そうして秋が深まり、森の木々が紅葉する頃、その冬、最初のマッチの炎を入れる。
”アナポタ・モト”——火を夢見るために。